問題提起
親の通帳を見たら、晩年や亡くなった直後に多額の引出しが続いていた。親と同居していた兄弟が管理していたらしい。このような「使い込み」が疑われるとき、遺産分割で取り戻せるのか、別の手続が必要なのかは、引き出されたのが亡くなる前か後かで大きく変わる。
弁護士に相談する前に知っておきたい法律の要点を、分野ごとにスレッド形式でまとめています。
親の通帳を見たら、晩年や亡くなった直後に多額の引出しが続いていた。親と同居していた兄弟が管理していたらしい。このような「使い込み」が疑われるとき、遺産分割で取り戻せるのか、別の手続が必要なのかは、引き出されたのが亡くなる前か後かで大きく変わる。
亡くなった後、分割の前に財産が処分された場合について、次の規定がある。
遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合であっても、共同相続人は、その全員の同意により、当該処分された財産が遺産の分割時に遺産として存在するものとみなすことができる。
2 前項の規定にかかわらず、共同相続人の一人又は数人により同項の財産が処分されたときは、当該共同相続人については、同項の同意を得ることを要しない。民法906条の2(e-Gov法令検索で原文確認)
亡くなる前の無断引出しは、亡くなった人がその相続人に対して持っていた返還や賠償の請求の問題になる。
法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。民法703条(e-Gov法令検索で原文確認)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。民法709条(e-Gov法令検索で原文確認)
なお、法律上の原因がないことを知って利益を受けた人(悪意の受益者)は、受けた利益に利息を付けて返さなければならない(民法704条)。「もう使ってしまった」というだけで返還を免れるわけではない。
①亡くなった後の処分(906条の2)。処分した相続人以外の相続人全員が同意すれば、処分した人が反対していても、処分された財産が遺産分割の時に遺産として残っているものとみなせる。通常は、処分した人がその分を既に取得したものとして取り分を調整する。調停で合意できなくても、審判の中で扱える。ただし、この規定は財産が「残っているとみなす」ものであり、それだけで返還が命じられるわけではない。処分額がその人の取り分を超える場合などは、別に返還を求める必要が出てくることがある。また、処分したのが相続人以外の人なら、2項は使えない。
②亡くなる前の引出し。引き出されたお金が、亡くなった人のための現金として保管されていて亡くなった時点で残っていれば、その現金は遺産になりうる。そうでなく、権限なく取得・費消されていた場合は、亡くなった人が引き出した人に対して持っていた返還請求権(不当利得・民法703条、704条)や損害賠償請求権(不法行為・民法709条)が相続される。なお、権限のない払戻しが金融機関との関係で有効にならず、預金がなお残っていると考えられる場合もあるため、誰に何を請求できるかは個別に整理する必要がある。
③請求権は分かれて相続される。こうした金銭の請求権は、相続によって相続分に応じて当然に分かれ、各相続人が自分の分を請求できる(最高裁昭和29年4月8日判決)。遺言で相続分の指定などがなければ、通常は法定相続分が基準になる。なお、預貯金そのものは、遺産分割の対象とされている(最高裁平成28年12月19日大法廷決定)ので、ここでの扱いとは区別する。
④遺産分割の中で一括して精算したいとき。亡くなる前の引出しでも、相続人全員が「この額を引き出した人が既に受け取ったものとして扱う」と合意すれば、協議や調停の中で精算できる。合意できなくても、各相続人は自分が相続した請求権について、交渉・民事調停・訴訟などで個別に返還を求められる。
①亡くなった人の口座について、金融機関に取引履歴の開示を求める。相続人の一人でも、単独で取引経過の開示を求めることができる(最高裁平成21年1月22日判決)。ただし、さかのぼれる期間には金融機関の保存期間による限界がある → ②大きな出金について、日時・金額・払戻しの場所(窓口かATMか、どの支店か)を一覧にする → ③その時期の亡くなった人の状態(入院・施設入所・判断能力)を、医療・介護の記録などで確かめる → ④引き出した相続人に、経緯と使い道の説明と資料を求める → ⑤亡くなった後の処分なら、906条の2による遺産分割の中での処理を検討する → ⑥亡くなる前の引出しや、遺産分割の中で片付かない部分は、各相続人が自分の分について返還を求める(交渉・民事調停・訴訟)。
906条の2は2019年7月1日に施行された。それより前に開始した相続には、原則として改正前の法律が適用され(平成30年法律第72号附則2条)、906条の2について別の定めは置かれていない。
実務の視点取引履歴は、亡くなる数年前からまとめて取り寄せると、普段の生活費の出金と異常な出金を見分けやすい。窓口での払戻しなら払戻請求書の写しの開示を求められる場合もある。資料には保存期間があるので早めに確保する。集めた資料は時系列の一覧にしておくと、話し合いでも訴訟でも使える。
①「調停で使い込みも全部取り戻せる」は誤解。遺産分割の調停・審判は、残っている遺産(906条の2で残っているとみなされるものを含む)を分ける手続であり、使い込みの返還そのものを命じる手続ではない。
②引き出した側の反論。よくある反論は「亡くなった人に頼まれて生活費・医療費に使った」「管理を任されていた」「贈与を受けた」というもの。亡くなった人本人の生活費や医療費など、本人が負担すべき費用に充てたと認められる部分は、返還の対象から外れることがある。ただし、領収書があることや管理を任されていたことだけで、全額が正当化されるわけではない。管理を頼まれていたなら、委任を受けた人として事務処理の状況を報告する義務もある(民法645条)。
③贈与だったと言われたら。贈与が有効でも、相続人に対する婚姻・養子縁組のためや生計の資本としての贈与なら、特別受益(民法903条)として取り分の計算に影響することがある。ただし、持戻し免除の意思の有無で扱いが変わり、相続開始から10年を経過した後の分割では原則として考慮されない(民法904条の3。例外と経過措置は「特別受益・寄与分」のスレッド)。
また、遺留分を侵害する贈与であれば、遺留分侵害額請求が問題になる。兄弟姉妹には遺留分がない(民法1042条1項)。遺留分の計算に含まれる贈与は、原則として相続開始前1年間のもの(相続人に対する婚姻・養子縁組のためや生計の資本としての贈与は10年間)だが、当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知ってした贈与はそれより前のものも含まれる(民法1044条)。この制度は2019年7月1日以後に開始した相続に適用され、それより前の相続には改正前の制度が適用される(平成30年法律第72号附則2条)。
④同居の家族が払い戻すことは珍しくない。引出しがあったことだけで使い込みとは言えない。使い道と、亡くなった人の意思に沿っていたかが問題になる。
次の点は、証拠や事情によって結論が大きく変わる。一般論だけで判断せず、弁護士に相談してほしい。
①亡くなった人の承諾があったか。判断能力が衰えていた時期の引出しについて、承諾や贈与の意思があったと言えるかは、医療・介護の記録、引出しの額や頻度、従前の家計の管理の仕方などによって評価が分かれる。
②立証の負担。請求する側にも、誰が引き出して利益を得たのかなどを立証する必要がある。他方、管理を任されていた側には報告義務などもある。相手が説明しないことだけで全額が使い込みと認められるわけではなく、どこまで認められるかは証拠しだいである。
③訴訟まで起こすか。証拠の強さ、金額、費用と時間、親族関係への影響を比べて判断することになり、見通しは事案で大きく異なる。
・取引履歴に説明のつかない大きな出金がある
・引き出した相続人が説明や資料の提出を拒んでいる
・何年も前の出金がある、亡くなった人が生前から問題に気づいていた
・「贈与だった」と言われ、自分の取り分がほとんど残らない
・遺産分割の話し合いで、使い込みの扱いが争いの中心になっている
・逆に、生活費の管理を任されていたのに使い込みを疑われている
使い込みが疑われたら、取引履歴を取り寄せる段階で相談するのが望ましい。返還や賠償を求める権利には消滅時効があるためである。
・不当利得の返還請求権などの債権は、権利を行使できることを知った時から5年、権利を行使できる時から10年のいずれかを経過すると、時効で消滅しうる(民法166条1項)。
・不法行為による損害賠償請求権は、損害と加害者を知った時から3年、不法行為の時から20年のいずれかを経過すると、時効で消滅しうる(民法724条)。
・相続で数え直しにはならない。亡くなる前の使い込みの請求権は亡くなった人から相続したものなので、時効は亡くなった人の生前から進んでいることがある。相続人が使い込みに気づいた日や亡くなった日から、必ず新たに数え始めるわけではない。
・2020年4月1日(改正民法の施行日)より前に生じた債権(同日以後に生じた債権でも、その原因である法律行為が同日より前にされたものを含む)の時効期間は、改正前の規定による(平成29年法律第44号附則10条4項)。改正前の民法では、一般の債権は権利を行使できる時から10年で消滅するとされていた(改正前の民法166条1項・167条1項)。不法行為の20年の期間にも別の経過措置がある(同附則35条)。
・資料集めや遺産分割の話し合いだけでは時効は止まらない。取引履歴の取得、説明の要求、遺産分割の調停の申立てをしても、別の返還請求権の時効が当然に止まるわけではない。一方、その返還請求権そのものについて訴訟を起こしたり民事調停を申し立てたりすれば、時効の完成が猶予される(民法147条1項)。協議を行う旨の合意を書面ですれば、一定期間猶予される制度もある(民法151条)。返還を求める催告をすると、その時から6か月間は時効が完成しないが、その間に再び催告しても猶予は延びない(民法150条)。期限が近いときは、資料がそろうのを待たずに相談する。
・遺留分侵害額請求権は、相続の開始と侵害する贈与・遺贈を知った時から1年間行使しないと時効で消滅し、相続開始の時から10年を経過したときも同様である(民法1048条)。訴訟によらず相手方への意思表示で行使することもでき、その場合は期間内に請求の意思表示を相手方に届け、伝えた内容と到達を証拠に残す。訴訟による場合の期間の扱いは別に確認する。
使い込みの扱いは、亡くなる前か後かで変わる。亡くなった後なら、引き出した人以外の全員の同意で遺産として扱い、遺産分割の中で調整できる。亡くなる前なら、各相続人が相続した請求権を個別に行使する。どちらも取引履歴で事実を特定することから始まり、時効は生前から進んでいることもあるので、早めの相談が大切である。