問題提起
母が亡くなり、「全財産を長女に相続させる」という遺言が見つかった。日付は、母がアルツハイマー型認知症と診断されて施設に入った後である。次女の自分は、母がこんな遺言を理解して書けたとは思えない。遺言を無効にできるのか。何から始めればよいのか。
弁護士に相談する前に知っておきたい法律の要点を、分野ごとにスレッド形式でまとめています。
母が亡くなり、「全財産を長女に相続させる」という遺言が見つかった。日付は、母がアルツハイマー型認知症と診断されて施設に入った後である。次女の自分は、母がこんな遺言を理解して書けたとは思えない。遺言を無効にできるのか。何から始めればよいのか。
十五歳に達した者は、遺言をすることができる。民法961条(e-Gov法令検索で原文確認)
遺言者は、遺言をする時においてその能力を有しなければならない。民法963条(e-Gov法令検索で原文確認)
成年被後見人が事理を弁識する能力を一時回復した時において遺言をするには、医師二人以上の立会いがなければならない。
2 遺言に立ち会った医師は、遺言者が遺言をする時において精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状態になかった旨を遺言書に付記して、これに署名し、印を押さなければならない。ただし、秘密証書による遺言にあっては、その封紙にその旨の記載をし、署名し、印を押さなければならない。民法973条(e-Gov法令検索で原文確認)
遺留分侵害額の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び遺留分を侵害する贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。民法1048条(e-Gov法令検索で原文確認)
① 意味。 遺言能力は、遺言の内容と、それによってどういう結果になるかを理解し判断できる能力と説明されている。遺言をする時点で必要で(民法963条)、その後に能力を失っても遺言は無効にならない。
② 総合判断。 裁判では、次のような事情を総合して判断されると説明されている。
・医学的な事情:認知症などの病名、重さ、遺言の前後の症状の経過(検査の結果、医師の所見)
・遺言の内容:単純な内容(「全部を長女に」)か、複雑な内容(多くの財産を細かく分ける)か。複雑な内容ほど高い能力が求められると考えられている
・作成の経緯:だれが言い出し、だれが準備したか、遺言者が自分の言葉で内容を説明できたか
・動機・意向との一致:以前からの意向や、家族との関係から見て自然な内容か
③ 診断名だけでは決まらない。 認知症の診断があっても、軽度で遺言の内容を理解できたと判断される場合もある。逆に、あいさつや受け答えができ、署名もできていても、それだけで遺言能力があるとはされない。
① 医師2人以上の立会い。 成年被後見人が遺言をするには、事理を弁識する能力を一時回復した時に、医師2人以上の立会いがなければならない(民法973条1項)。立ち会った医師は、遺言の時に能力を欠く状態になかった旨を付記して署名・押印する(同条2項)。この方式を欠く成年被後見人の遺言は、方式の違反で無効となる。逆に、この方式を満たしていても、実際に遺言能力があったかは別に検討される。また、認知症と診断されただけで後見を受けていない人には、この特別な方式は求められない。
② 補助・保佐の場合。 被保佐人・被補助人は、保佐人・補助人の同意なく遺言ができる(民法962条)。ただし、その時の遺言能力が問われることは同じである。
③ 制度の改正予定。 2026年6月24日に公布された民法等の改正(令和8年法律第45号)で、成年後見制度が見直され、973条も、改正後の民法10条1項の審判(特定補助人を付する旨の審判)を受けた人の遺言についての規定に改められる予定である。施行は公布から2年6か月を超えない範囲で政令で定める日とされている。遺言の時期によって適用される規定を確かめる。
① 話し合い。 相続人だけでなく、遺言で財産を受け取る受遺者などの関係者も確かめ、遺言の有効性について話し合う(話し合いは法律上の必須の手続ではない)。
② 家庭裁判所の調停。 遺言の無効確認は家庭に関する事件として、訴えの前に家庭裁判所の調停を申し立てるのが原則とされる(家事事件手続法244条・257条1項)。調停を経ずに訴えを起こした場合、裁判所は原則として事件を調停に付すが、調停に付すことが相当でないと認めるときは、そのまま訴訟で審理する(同条2項)。
③ 遺言無効確認の訴え。 通常は地方裁判所に(具体的には訴額と管轄に従って)、遺言が無効であることの確認を求める訴えを起こす。だれが原告になれるか、だれを被告にするか、遺言のどの範囲の無効を求めるかは、遺言の内容と争いの状況によって検討が要る。無効を主張する側が、遺言の時に遺言能力がなかったことを示す事情を主張・立証することになる。
④ 遺産分割との関係。 遺言が無効と確定した場合は、ほかに有効な遺言がないか、無効になった範囲(一部だけのこともある)、判決の効力が及ぶ関係者などを確かめたうえで、有効な遺言で行き先が決まらない遺産について遺産分割をすることになる。
・医療の記録:カルテ(診療録)、看護記録、検査結果(長谷川式簡易知能評価スケールなどの認知機能検査、画像検査)、診断書
・介護の記録:介護施設の記録、ケアプラン、介護日誌
・要介護認定の資料:認定調査票、主治医意見書(市区町村に開示を請求する)
・遺言の作成の資料:公正証書遺言なら公証役場での作成の経緯、自筆証書遺言なら筆跡や書かれた状況
・本人の言動:手紙、日記、家族とのやり取り、銀行の手続の記録など
実務の視点 カルテなどの記録は、病院によって保存期間が過ぎると廃棄されることがあるので、早めに開示を求める。亡くなった人の記録を開示してもらえる人・範囲・手続は、記録の種類や病院・施設・市区町村によって扱いが違うので、それぞれに確かめる。まず遺言の日付の前後の記録を確保し、病状の経過によっては数年前の記録が重要になることもある。
① 無効とされることはある。 公正証書遺言は公証人が作成し、証人2人以上が立ち会うので、事実上、遺言能力があったと見られやすい(法律上当然に推定されるわけではない)。それでも、遺言の時の症状が重かったことが医療記録などから示され、無効とされた裁判例もある。
② 作成時の記録の評価。 公証人による本人確認・意思確認の内容や本人の応答、作成時の記録なども、医療・介護の記録と併せて評価される。公証人が個別の作成の状況を詳しく覚えていないこともあり、決定的な証拠になるとは限らないと指摘されている。
① なぜ必要か。 遺言の無効が認められなかった場合でも、自分の遺留分(最低限の取り分)を金銭で請求できることがある(遺留分があるのは兄弟姉妹以外の相続人で、兄弟姉妹やその子〔甥・姪〕にはない。民法1042条1項)。しかし、その請求権は、相続の開始と遺留分を侵害する遺贈などを知った時から1年で時効により消え、相続開始から10年たったときも同じである(民法1048条)。この制度は2019年7月1日以後に開始した相続に適用され、それより前の相続には改正前の遺留分減殺請求の制度が適用される。
② 無効を争っていても期限は進むおそれがある。 1年がいつから進むかは、遺留分を侵害することの認識や、遺言を無効と信じた事情などで個別に判断されるが、無効を主張しているだけで期間が止まるわけではない。「まだ進んでいない」と自己判断せず、無効を主張しつつ、念のため(予備的に)遺留分侵害額の支払を請求する意思を明確にした通知を、期限内に相手に届くように送っておくのが一般的である。意思表示は相手に到達した時に効力を生じる(民法97条1項)ので、配達証明付き内容証明郵便など、内容と到達を証明できる方法を使う。
③ 通知した後も放置しない。 期限内に請求の意思表示をした後に生じる金銭の支払請求権には、別に一般の債権の消滅時効(権利を行使できることを知った時から5年など。民法166条1項。2020年4月1日より前に生じた債権などには改正前の時効の規定が適用される経過措置がある=平成29年法律第44号附則10条4項)がある。無効の訴訟の結論を待つ間も、遺留分の金銭請求について別に手続が要らないか確かめる。
④ 詳しくは。 遺留分の割合と請求の方法は「遺留分|最低限の取り分の割合と期限」「遺留分侵害額請求|通知から調停・訴訟まで」のスレッドを参照。
1. 遺言書の確認(法務局に保管されていない自筆証書遺言は家庭裁判所の検認を経る。検認は遺言の有効・無効を判断する手続ではなく、検認を待たずに遺留分の期限への対応が必要になることがある)と、遺言の日付の確認。
2. 遺言の時期の医療・介護の記録を集める。
3. 遺留分侵害額の請求の意思表示を、期限内に相手に届くよう、内容証明郵便などで送っておく。
4. 相続人の間で話し合う。
5. まとまらなければ、原則としてまず家庭裁判所の調停を申し立て、解決しなければ遺言無効確認の訴えを考える。
6. 無効の争いと並行して、遺留分の金銭債権の時効も管理し、必要なら調停・訴訟などの手続をとる。無効が確定すれば、ほかの遺言の有無などを確かめて遺産分割へ進む。
① 「認知症の診断後の遺言は必ず無効」ではない。 診断の有無だけでなく、遺言の時の状態と内容などで判断される。
② 「公正証書だから絶対に有効」でもない。 遺言能力がなければ、公正証書遺言でも無効になりうる。
③ 方式の不備も確かめる。 自筆証書遺言なら、全文・日付・氏名の自書と押印などの方式(民法968条1項)に不備がないかも確かめる。ただし、添付する財産目録は自書でなくてもよく、その場合は各ページへの署名・押印などの要件がある(同条2項。この緩和は2019年1月13日以後に作成された遺言に適用され、それより前の遺言は改正前の方式による=平成30年法律第72号附則6条)(「遺言の方式|自筆と公正証書、手間と安全性の比較」のスレッドを参照)。本人が書いたものかどうか(筆跡)が争点になることもある。
④ 遺言の無効と遺留分の期限は別。 遺言の無効確認そのものに、遺留分の1年の期限が当てはまるわけではない。ただし、遺産の売却・預金の払戻し・登記などが進みそうなときは、財産の保全の手続も含めて、すぐに相談する。
・遺言能力があったかどうか。 これは医学的な事情と遺言の内容・経緯の総合判断で、同じ診断名でも結論が分かれる。主治医の意見や後から行う鑑定の評価も、事案によって重みが違う。
・見通しの難しさ。 亡くなった後に、記録をもとに遺言の時の状態を立証することには限界があり、訴訟は長くかかることもある。費用と時間をかけて争うか、遺留分の請求にとどめるか、話し合いで解決するかは、資料の内容を見て判断することになる。
これらは一般論だけで判断せず、弁護士に相談してほしい。
・認知症と診断された後の日付の遺言が見つかった
・遺言の内容が、以前の本人の意向と大きく違う
・特定の相続人が遺言の作成に深く関わっていた
・公正証書遺言の有効性を争いたい
・遺留分の請求の期限が近い
・遺産が売却されたり、預金が払い戻されたりしそう
・カルテや介護記録をどう集めればよいか分からない
遺言の内容を知ったら、できるだけ早く相談するのがよい。遺留分の請求の1年は、遺言の無効を争っているだけでは止まらないおそれがある(起算点は個別に確かめる)。記録の保存期間の問題もあるので、資料集めも早く始める。
認知症のときに書かれた遺言は、遺言の時に遺言能力がなければ無効になるが、診断名だけでは決まらず、記録と内容・経緯から総合して判断される。争うには記録集めが中心になる。無効が認められない場合に備え、遺留分の請求を1年以内に出しておきたい。
出典
民法97条1項・166条1項・961条〜963条・968条・973条・1042条・1048条/家事事件手続法244条・257条/平成29年法律第44号附則10条4項/平成30年法律第72号附則1条2号・6条(いずれも e-Gov 法令検索で原文確認・2026-10-19)/令和8年法律第45号による民法973条の改正(e-Gov 法令API v2 の未施行版で確認)