問題提起
父が亡くなり、母・兄・自分の3人が相続人になった。兄と母の間で遺産の分け方をめぐって争いがあり、兄が家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てた。自分は遠方に住んでいて、遺産はいらないので話合いや調停から抜けたい。「相続分を譲渡する」「相続分を放棄する」という方法があると聞いたが、どう違うのか。父には借金もあるようだが、手続から抜ければ借金も払わなくてよいのか。
弁護士に相談する前に知っておきたい法律の要点を、分野ごとにスレッド形式でまとめています。
父が亡くなり、母・兄・自分の3人が相続人になった。兄と母の間で遺産の分け方をめぐって争いがあり、兄が家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てた。自分は遠方に住んでいて、遺産はいらないので話合いや調停から抜けたい。「相続分を譲渡する」「相続分を放棄する」という方法があると聞いたが、どう違うのか。父には借金もあるようだが、手続から抜ければ借金も払わなくてよいのか。
共同相続人の一人が遺産の分割前にその相続分を第三者に譲り渡したときは、他の共同相続人は、その価額及び費用を償還して、その相続分を譲り受けることができる。
2 前項の権利は、一箇月以内に行使しなければならない。民法905条(e-Gov法令検索で原文確認)
相続の放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。民法938条(e-Gov法令検索で原文確認)
相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。民法939条(e-Gov法令検索で原文確認)
家庭裁判所は、当事者となる資格を有しない者及び当事者である資格を喪失した者を家事審判の手続から排除することができる。
2 前項の規定による排除の裁判に対しては、即時抗告をすることができる。家事事件手続法43条。家事調停の手続にも準用される=同法258条1項(e-Gov法令検索で原文確認)
① 相続分の譲渡。 相続人が、遺産全体に対する自分の取り分(相続分)を、他の相続人や第三者に譲り渡すことである。譲り渡す人と譲り受ける人の合意(契約)によって成立し、「いらないから誰かにあげる」と一方的に表明するだけでは成立しない。条文が直接定めているのは第三者への譲渡と取戻しの権利(民法905条)だけだが、相続分の譲渡ができることは前提とされている。他の相続人に譲った場合、譲り受けた相続人は、自分の相続分と譲り受けた相続分を合わせて遺産分割に加わる。相続分の全部を譲り渡した人は相続分を失うので、遺産分割の当事者ではなくなる(一部だけの譲渡や、特定の不動産の持分だけの譲渡では、当事者のままである)。譲渡は有償でも無償でもよい。
② 相続分の放棄。 相続人が、自分の相続分そのものを放棄する意思表示をすることである。民法に規定はないが、実務では認められている。話合いの中で「今回は何もいらない」と意見を述べることや、遺産分割協議で自分の取得分をゼロにすることとは区別される。特定の相続人に取得させたいのであれば、放棄ではなく、その人への相続分の譲渡として内容をはっきりさせるのが通常である。
③ 相続放棄。 相続人が家庭裁判所に申述し、受理されることで、初めから相続人でなかったものとみなされる(民法938条・939条)。期間は、原則として、自分のために相続が始まったことを知った時から3か月以内である(民法915条1項)。相続人でなくなるので、亡くなった人の借金も引き継がない。
① 亡くなった人の借入金のような通常の金銭の債務(相続債務)は、遺産分割を待たずに、法定相続分に応じて各相続人が分割して引き継ぐ(最高裁昭和34年6月19日判決・民集13巻6号757頁)。遺言で相続分が指定されていても、債権者は、原則として法定相続分に応じて各相続人に請求できる(民法902条の2)。相続分を譲渡したり放棄したりしても、相続人であることに変わりはないので、債権者から法定相続分に応じた支払を求められれば、支払を拒めないと解されている。
② 相続分の譲渡では、譲り受けた人は、借金も含めた遺産全体に対する持分を譲り受けると解されている。相続分を譲り受けた人との間で「借金も譲受人が払う」と約束することもできるが、それは当事者の間の約束であり、その約束だけでは、譲り渡した人は債権者に対する支払義務を免れない。債権者に対して支払義務を免れるには、債権者が関与した免責的な債務引受けなどの別の手当てが要る。
③ 借金を引き継ぎたくないのであれば、相続分の譲渡・放棄ではなく、家庭裁判所での相続放棄を検討する。相続放棄には期間の制限がある(「相続放棄|3か月の数え方と避けるべき行動」のスレッドを参照)。
④ 相続分を譲渡すると相続放棄ができなくなるおそれがある。 相続人が相続財産の全部または一部を処分したときは、単純承認をしたものとみなされる(民法921条1号)。相続分の譲渡は、この「処分」に当たると考えられており、3か月の期間内でも、その後に相続放棄をすることが原則としてできなくなる。相続分の放棄も、原則として同じように処分に当たると解されているので、相続分の放棄の書面に署名した後に相続放棄ができると考えてはいけない。家庭裁判所が相続放棄の申述を受理しても、それで相続放棄が有効と確定するわけではなく、債権者が後の訴訟などで効力を争うことがある。借金の有無が分からないうちは、譲渡・放棄の書面に署名・押印しない。
1. 譲渡の相手と内容を決める。 誰に、有償か無償か、を決める。他の相続人に譲るのか、第三者に譲るのかで、次に述べる取戻しの権利の有無が変わる。
2. 書面を作る。 「相続分譲渡証書」などの書面に、譲渡する人が署名し、実印を押して、印鑑登録証明書を付けるのが一般的である。法律上、書面や実印がなければ譲渡が成立しないわけではないが、家庭裁判所・登記・金融機関の手続では、この書面と印鑑登録証明書を求められることが多い(それだけで登記や払戻しができるとは限らず、必要な書類は提出先に確かめる)。
3. 調停・審判が続いているときは家庭裁判所に届け出る。 家庭裁判所は、相続分を失った人を手続から排除することができ(家事事件手続法43条1項・258条1項)、排除の裁判に対しては即時抗告ができる(同条2項)。家庭裁判所によっては、譲渡の届出書、上申書、即時抗告をしない旨の書面などの提出を求められる。必要な書類は、事件を担当する家庭裁判所に確かめる。届け出れば直ちに出席しなくてよくなるとは限らず、譲渡が有効か、全部の譲渡かが争われるときは、家庭裁判所が当事者の資格を確かめる。第三者に譲渡した場合は、譲り受けた第三者が手続に加わることになる。
4. 申立て前の場合。 遺産分割の調停を申し立てる前に相続分の譲渡・放棄があった場合に、その人を当事者に含めるかどうかは、家庭裁判所の運用で扱いが異なることがある。申立てをする側は、申立先の家庭裁判所に事前に確かめておく。
相続分を放棄する場合も、書面(「相続分放棄書」など)に署名・実印の押印をし、印鑑登録証明書を付けて、同じように家庭裁判所に届け出るのが一般的である。
① 相続人の一人が、遺産の分割の前に、相続人でない第三者に相続分を譲り渡したときは、他の相続人は、その相続分の価額と、譲渡にかかった費用を、譲受人に償還して、その相続分を取り戻すことができる。見知らぬ第三者が遺産分割に入ってくることを防ぐための制度である。
② この権利は、1か月以内に行使しなければならない(民法905条2項)。1か月をいつから数えるかについては、譲渡の時からとする考え方が一般的とされるが、他の相続人が譲渡を知った時からとする考え方もある。譲渡を知ってから必ず1か月あるとは考えず、すぐに動く。家庭裁判所に期間を延ばしてもらう制度はない。取り戻すには、期間内に相続分の価額と費用を現実に提供することが必要とされ、「取り戻したい」と伝えるだけでは足りないと考えておく。
③ 償還する「価額」は、取り戻す時点での相続分の評価額であって、第三者が実際に支払った代金ではないと解されている。
④ 相続分の全体ではなく、特定の不動産などの共有持分だけを第三者に譲渡した場合は、原則としてこの取戻しの対象にならないと解されている。取引が相続分の譲渡なのか、個々の財産の持分の譲渡なのかは、契約の内容で判断される。
実務の視点 相続分を譲渡・放棄するときは、口頭で済ませず、必ず署名と実印の押印をした書面を作り、印鑑登録証明書を付ける。家庭裁判所の手続から外れるときや、不動産の登記・預金の払戻しをするときに、本人の意思で譲渡・放棄したことを示す資料として求められるからである。あわせて、借金がないかを確かめておく。借金がある場合、相続分の譲渡・放棄では債権者に対する支払義務は残ると解されているので、相続放棄の期間内かどうかを先に確認する。
① 「相続分を放棄した」=「相続放棄をした」ではない。 遺産分割協議書で「何も受け取らない」と書いたり、相続分放棄書を出したりしても、家庭裁判所への申述をしていなければ相続放棄ではない。借金の支払義務は残ると解されている。
② 一度譲渡・放棄した相続分を取り戻せるか。 有効に成立した相続分の譲渡や、効力を生じた相続分の放棄は、気が変わったという理由だけでは、原則として一方的に撤回できない。錯誤・詐欺・強迫などがあった場合や、相手との合意で戻す場合は、別の問題になる。
③ 無償の譲渡が後の相続で問題になることがある。 最高裁は、共同相続人の間で無償でされた相続分の譲渡は、譲渡した相続分に財産的価値があるとはいえない場合を除き、譲渡した人が亡くなったときの相続で、民法903条1項の「贈与」に当たると判断した(最高裁平成30年10月19日判決・民集72巻5号900頁)。たとえば、父の相続で母が自分の相続分を兄に無償で譲った場合、後に母が亡くなったときの相続で、その譲渡が兄への贈与として、遺留分の計算などに影響することがある。どこまで考慮されるかは、後の相続が始まった時期、贈与からの期間などで変わる。たとえば、2019年7月1日以後に始まった相続の遺留分の計算では、相続人に対する特別受益に当たる贈与は、原則として相続開始前10年間にしたものに限って算入される(民法1044条3項。当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知ってした贈与は10年より前のものも算入される)が、それより前に始まった相続には改正前の規定が適用される。
④ 相続分を全部譲渡した人は、遺産かどうかを争う訴えの当事者にならない。 最高裁は、自分の相続分の全部を譲渡した相続人は、ある財産が遺産に属するかどうかを確認する訴えの当事者適格を有しないと判断した(最高裁平成26年2月14日判決・民集68巻2号113頁)。ただし、譲渡そのものの有効性を争う訴えなどは別である。
⑤ 不動産の登記。 遺産分割の手続から抜けても、遺産の不動産について必要な登記や、相続登記の申請義務がなくなるとは限らない。どのような登記が必要かは司法書士・弁護士に確かめる。
⑥ 相続税。 相続分の譲渡が有償か無償か、誰に譲るかによって、相続税・贈与税・所得税の扱いが変わることがある。税金については税理士に確認する。
・放棄した人の相続分は誰に帰属するか。 他の相続人の相続分の割合に応じて帰属すると説明されることが多いが、「放棄」と題した書面でも、内容によっては特定の相続人への譲渡と解釈されることがあり、書面の書き方によって結論が変わりうる。
・取戻しの1か月の起算点。 譲渡の時からか、譲渡を知った時からか、考え方が分かれる。
・相続分の放棄の書面と、その後の相続放棄。 相続分の放棄は原則として処分に当たると解されているが、書面の内容(単なる意見の表明か、相続分そのものの放棄か)によって、どう扱われるかが問題になることがある。
これらは一般論だけで判断せず、弁護士に相談してほしい。
・遺産分割の調停・審判から抜けたいが、譲渡か放棄か決められない
・亡くなった人に借金があるかもしれず、相続放棄の期間内かどうか分からない(期間内に調査が終わらないときは、期間が過ぎる前に家庭裁判所に期間の伸長を請求できる)
・亡くなってから3か月を過ぎた後に借金が分かった
・他の相続人が、自分の知らない第三者に相続分を譲渡した
・相続分を無償で譲ってほしい(または譲りたい)と言われたが、後の相続や税金への影響が心配
・相続分の譲渡・放棄の書面への署名・押印を求められている
・相続人に未成年者や判断能力が十分でない人がいる、または親子がともに相続人で、親が子の相続分の譲渡・放棄を進めようとしている
・遺産に不動産がある
相続分の譲渡・放棄の書面に署名・押印する前に相談するのがよい。第三者への譲渡を知ったときは、取戻しの権利が1か月で行使できなくなるおそれがあるので、すぐに相談する。借金がありそうなときは、相続放棄の3か月の期間を過ぎる前に相談する。
遺産分割から抜ける方法として、相続分の譲渡と相続分の放棄がある。どちらも家庭裁判所での相続放棄とは違い、相続人であることは変わらないので、借金の支払義務は残ると解されている。第三者への譲渡には、他の相続人の1か月の取戻しの権利がある。署名・押印の前に、借金の有無と後の相続・税金への影響を確かめたい。
具体的な事案は、法律事務所、弁護士会の法律相談センターや法テラス等にご相談ください。
出典
民法898条・899条・902条の2・903条1項・905条・915条1項・921条1号・938条・939条・1044条3項/家事事件手続法43条・258条1項(いずれも e-Gov 法令検索で原文確認・2026-10-21)/最高裁昭和34年6月19日判決(民集13巻6号757頁)/最高裁平成26年2月14日判決(民集68巻2号113頁)/最高裁平成30年10月19日判決(民集72巻5号900頁)