問題提起
保険会社から示談書(免責証書・承諾書など名前はさまざま)が送られてきた。金額は書いてあるが、最後の一文「本件に関し、本書に定めるもののほか何らの債権債務がない」の意味まで考えずに署名してしまう人は多い。この一文が、後から請求できるかどうかを大きく左右する。
弁護士に相談する前に知っておきたい法律の要点を、分野ごとにスレッド形式でまとめています。
保険会社から示談書(免責証書・承諾書など名前はさまざま)が送られてきた。金額は書いてあるが、最後の一文「本件に関し、本書に定めるもののほか何らの債権債務がない」の意味まで考えずに署名してしまう人は多い。この一文が、後から請求できるかどうかを大きく左右する。
和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる。民法695条(e-Gov法令検索で原文確認)
当事者の一方が和解によって争いの目的である権利を有するものと認められ、又は相手方がこれを有しないものと認められた場合において、その当事者の一方が従来その権利を有していなかった旨の確証又は相手方がこれを有していた旨の確証が得られたときは、その権利は、和解によってその当事者の一方に移転し、又は消滅したものとする。民法696条(e-Gov法令検索で原文確認)
① 示談は和解として扱われる。 交通事故の示談は、当事者が互いに譲歩して争いをやめる合意で、民法の和解に当たる(または和解に準じる)と解されている。和解で決着をつけた権利関係は、後で反対の確証が見つかっても、和解のとおりに確定する(民法696条)。
② 清算条項の効果。 清算条項は、示談書に書いたもののほかに互いに支払う義務がないことを確かめる条項である。どの範囲の請求ができなくなるかは、示談の対象(事故全体か、物損だけか、傷害部分だけか)と清算条項の文言を合わせて、当事者の合意の内容として判断される。
③ 予想できなかった損害の例外。 最高裁は、全損害を正確に把握しがたい状況で、早急に小額の賠償金で満足する旨の示談がされた場合、示談によって被害者が放棄したのは示談当時予想していた損害についての請求権に限られ、その当時予想できなかった不測の再手術や後遺症による損害についてまで放棄したとは解されないとした(最判昭和43年3月15日・民集22巻3号587頁)。
④ 錯誤による取消し。 示談の前提とした事情について思い違い(錯誤)があっても、それだけで取り消せるわけではない。民法95条により取り消すには、錯誤が示談の目的と取引上の社会通念に照らして重要であること、前提とした事情についての思い違いなら、その事情が示談の基礎とされていることが表示されていたこと、思い違いをした本人に重大な過失がないこと(相手方が知っていた場合などの例外はある)などの要件がある。また、2020年4月1日より前にされた示談には改正前の民法が適用され(平成29年法律第44号附則6条1項)、錯誤は取消しではなく無効の問題として扱われる。和解で争いの対象として決着をつけた事項そのものについては、後で真実と違うと分かっても争えないのが原則である。なお、錯誤による取消しの権利は、追認をすることができる時から5年、行為の時から20年で時効にかかる(民法126条)。だまされたり脅されたりして示談に応じた場合は、詐欺・強迫による取消し(民法96条)が問題になる。
1. 被害者は、示談書の対象を確かめる。「本件事故に関する一切の損害」なのか、「物損」「傷害部分」など一部だけなのか。
2. 被害者は、金額の内訳(治療費・休業損害・慰謝料・既払金の控除など)を保険会社に出してもらい、計算を確かめる。
3. 被害者は、清算条項の文言を確かめ、請求できる権利として残すもの(後遺障害による損害、将来の治療費など)があれば、何を、どの条件で残すのかを具体的に書いてもらう。
4. 被害者は、自分の保険(人身傷害保険など)、健康保険、労災保険を使っている場合は、署名の前に、それぞれの保険会社・健康保険の保険者・労働基準監督署に連絡する。示談の内容によっては、その後の給付や、保険者が加害者に求償する権利に影響する。
5. 疑問があれば、署名・返送の前に弁護士に相談する。
実務の視点 物損だけ先に示談することはよくある。その場合、示談書の対象が物損に限られ、人身の損害の請求が残されているかを必ず確かめる。物損の示談書に過失割合を書くと、後の人身の話し合いでその割合を前提にされやすい。
① 署名しなくても示談が成立することがある。 電話やメールで金額や条件に同意しただけでも、示談が成立したと扱われるおそれがある。納得していないうちは同意の返事をしない。
② 「とりあえずのお金」のつもりでも示談になる。 一部だけ受け取るつもりでも、清算条項付きの書面に署名すると、それ以上の請求ができなくなるおそれがある。内払い(一部の先払い)として受け取るなら、その旨の書面にしてもらう。
③ 後遺症の例外は広くない。 最高裁の例外は、示談当時に予想できなかった損害についてのものである。示談の時点で痛みやしびれが続いていたのに後遺障害の申請をせずに示談した場合などは、例外に当たらないとされるおそれがある。
④ 留保の文言の書き方。 「後遺障害が認定された場合は別途協議する」のように特定の認定を条件にすると、どの機関の認定か、認定されなかったときはどうなるのかが問題になる。何を請求できる権利として残すのか、認定がなかった場合も残すのかを、具体的に書いてもらう。
議論のある点 示談後に追加の請求ができるか(予想できなかった損害に当たるか、錯誤による取消しや無効を主張できるか、留保の文言がどこまで及ぶか)は、示談の時期、当時の症状と医師の説明、金額の水準、示談書の文言などで判断が分かれる。一般論だけで判断せず、弁護士に相談してほしい。
・治療中、または後遺障害の申請前に示談を求められている
・示談書の金額の内訳や計算が分からない
・清算条項に、後遺障害などの請求を残す文言がない
・示談した後に、後遺症が出てきた、症状が悪化した
・物損と人身を分けて示談するよう言われた
・人身傷害保険・健康保険・労災保険を使っている
具体的な事案は、法律事務所、弁護士会の法律相談センターや法テラス等にご相談ください。
署名・押印・返送の前、電話などで同意する前が最も大切なタイミングである。示談が成立した後は、取り戻せる範囲が大きく狭まる。
示談書の清算条項に合意すると、示談で清算の対象とした範囲は、原則として後から請求できなくなる。示談当時予想できなかった後遺症などは例外として請求できる場合があるが、範囲は限られる。対象・内訳・留保の文言を署名前に確かめ、迷ったら弁護士に相談するとよい。
出典
民法95条・96条・126条・695条・696条・724条・724条の2/平成29年法律第44号附則35条/平成29年法律第44号附則6条1項(いずれも e-Gov 法令検索で原文確認・2026-10-19)/最判昭和43年3月15日(昭和40年(オ)第347号)民集22巻3号587頁