問題提起
交通事故から数か月。相手の保険会社から示談書と「この内容でよければ署名して返送してください」という案内が届いた。示談は一度成立すると、原則としてやり直せない。署名や同意の前に見直したい項目を整理する。この記事は主に、けがをした被害者が相手方の任意保険会社と示談する場面を想定している。
弁護士に相談する前に知っておきたい法律の要点を、分野ごとにスレッド形式でまとめています。
交通事故から数か月。相手の保険会社から示談書と「この内容でよければ署名して返送してください」という案内が届いた。示談は一度成立すると、原則としてやり直せない。署名や同意の前に見直したい項目を整理する。この記事は主に、けがをした被害者が相手方の任意保険会社と示談する場面を想定している。
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。民法709条(e-Gov法令検索で原文確認)
人身事故では、自動車の運行供用者に、より重い責任が定められている。
自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。ただし、自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことを証明したときは、この限りでない。自動車損害賠償保障法3条(e-Gov法令検索で原文確認)
第三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生したときは、被害者は、政令で定めるところにより、保険会社に対し、保険金額の限度において、損害賠償額の支払をなすべきことを請求することができる。自動車損害賠償保障法16条1項(e-Gov法令検索で原文確認)
①清算条項。「本件事故に関し、本示談書に定めるもののほか何らの債権債務がないことを相互に確認する」という条項があると、原則として後から追加の請求はできない。
②示談の時期と対象。けがが治ったか、症状固定と判断されたか、後遺障害が疑われる場合は等級認定の結果が出ているか。後遺障害が残りそうなのに、結果を待たずに人身損害全体を示談すると、その分の賠償が含まれないことがある。一方、物損だけを先に示談したり、対象を限った一部の示談をしたりすることはできる。その場合は、今回の示談の対象と、対象外の損害を書面で明確にする。なお、自賠責の等級認定は、加害者に後遺障害の損害を請求するための法律上の必須条件ではない。
③損害の内訳。治療費、通院交通費、休業損害、入通院慰謝料、後遺障害がある場合は後遺障害慰謝料と逸失利益、物損(修理費など)が、それぞれいくらで計算されているか。
④過失割合。自分の過失が何割とされているか。被害者に過失があると、裁判所はそれを考慮して賠償額を減らすことができる(民法722条2項)。実務では過失割合で減額を計算するのが一般的である(関連記事「過失割合|事故の類型と修正要素」)。
⑤既払金と差引き。保険会社がすでに病院へ払った治療費、休業損害の内払、自賠責からの支払などが正しく差し引かれているか。
⑥支払の時期と方法、遅れたときの扱い。
⑦被害者が未成年のとき。誰が示談をする権限を持つかを確かめる。2026年4月1日の改正後は、離婚後も父母の双方が親権者である場合があり、その場合は原則として共同して行う(民法824条の2)。示談を代理する親権者と子との間で、その示談について法律上の利益が相反する場合(親権者自身が加害者で賠償を払う側にいる場合など)は、家庭裁判所に特別代理人の選任を求める必要がある(民法826条)。未成年だからといって、成人するまで時効が進まないわけではない。
実務の視点 示談の提示を受けたら、保険会社に計算の根拠(各項目の計算式、使った基準、過失割合の理由)を書面で出してもらう。将来の後遺障害が心配なときは、単に「別途協議する」と書くだけでは、何を残したのかで争いになりうる。例えば傷害の分だけを示談し、後遺障害に関する請求は対象から除外する、というように、今回の示談・清算から何を外すかを具体的に定める。こうした条項を入れても、時効は別に進む。自分の自動車保険や火災保険に弁護士費用特約が付いていないか確認する(家族の保険で使える場合もある)。
①事故・警察への届出 → ②治療(治療費は相手の保険会社が病院へ直接払う扱いが多い)→ ③治癒または症状固定 → ④後遺障害が残れば等級認定の申請(事前認定または被害者請求)→ ⑤損害額の計算・保険会社からの提示 → ⑥交渉 → ⑦合意・示談書の作成 → ⑧支払。
当面の費用が必要な場合、死亡または一定の傷害について、程度に応じて定められた額の仮渡金を自賠責保険に請求できる(自賠法17条1項、同法施行令5条)。後で支払われる額との差が出れば精算され、払い過ぎた分は返還を求められることがある(同法17条3項)。交渉がまとまらなければ、交通事故紛争の相談・あっせん機関や、訴訟を利用する。
①示談後の後遺症。最高裁昭和43年3月15日判決は、交通事故による全損害を正確に把握し難い状況の下で、早急に少額の賠償金で満足する旨の示談がされた場合、示談で放棄したのは当時予想していた損害だけで、予想できなかった再手術や後遺症が後に生じた場合は、その損害の賠償請求権まで放棄した趣旨ではないとした。ただし、これは例外的な場面についての判断であり、示談後でも自由に追加請求できるという意味ではない。
②保険会社の提示額は一つの案。保険会社の提示は、裁判になった場合に認められる額より低いことがある。損害の算定には、自賠責保険の支払基準、保険会社の基準、裁判で使われる基準があり、どれで計算されているかを確かめる(関連記事「交通事故の慰謝料|算定基準の違い」)。
③自賠責保険の対象と上限。自賠責保険は人身損害が対象で、車の修理費などの物損は対象外である。保険金額は被害者1人ごとに定められ、傷害による損害は120万円(治療費・休業損害・慰謝料などの合計の上限)、死亡による損害は3,000万円などとされている(自賠法施行令2条1項)。後遺障害は等級ごとに定められている(同令別表第一・第二)。これは自賠責から支払われる額の上限で、加害者の賠償責任の上限ではない。超える分は加害者本人に請求し、任意保険があれば契約の範囲で保険会社が対応する。任意保険会社への直接の請求ができるかは、保険契約の約款によるもので、自賠責への被害者請求と同じ法律上の制度ではない。
④自賠責の過失の扱い。自賠責保険は、国が定めた支払基準に従って支払われ(自賠法16条の3)、被害者の過失の扱いも、裁判の過失相殺とは異なる仕組みになっている。
⑤相手が無保険・ひき逃げのとき。相手が分からない場合や自賠責保険に入っていない場合は、国の政府保障事業を利用できることがある。
議論のある点 次の点は、事情によって判断が分かれる。一般論だけで判断せず、弁護士に相談してほしい。
①示談後に予想外の後遺症が出た場合。上の判例が当てはまるのは、全損害を正確に把握し難い状況で早急に少額で示談した場合などで、示談の時期や内容、症状の経過によって結論が変わる。
②いつ示談するか。治療費の打切りを告げられた場合に治療を続けるか、症状固定の時期をいつとみるかは、医師の判断と保険会社の主張が食い違うことがある。争いになれば、最終的には裁判所が治療の経過などから判断する。
③提示額が妥当か。休業損害や逸失利益の基礎収入、慰謝料の額、過失割合は、資料と事故の状況によって評価が分かれる。
・示談書への署名や、提示額への同意を求められている
・後遺症が残っている、または残りそう/後遺障害が非該当になった、等級に納得できない
・保険会社の提示額の根拠が分からない、低いと感じる
・過失割合に納得できない
・治療費の打切りを告げられた
・被害者が亡くなった、重い後遺障害が残った
・被害者が未成年、または判断能力が低下している
・相手が任意保険・自賠責保険に入っていない、ひき逃げで相手が分からない
・事故から時間がたち、時効が心配
・弁護士費用特約が使える
・すでに示談した後で、予想しなかった症状が出た、または示談の内容に疑問がある
相談は示談に同意する前(示談書への署名だけでなく、電話やメールでの同意の前)が原則。後遺障害の等級申請の前に相談すると、資料のそろえ方から助言を受けられる。次の期間に注意する。
・加害者への損害賠償請求(不法行為に基づく請求):被害者(またはその法定代理人)が損害と加害者を知った時から3年(人の生命・身体を害した場合は5年)、不法行為の時から20年を経過すると時効で消滅しうる(民法724条・724条の2)。物の損害(車の修理費など)は3年。けがの損害は、通常、事故の時から時効が進みうる。後遺障害の損害は、遅くとも症状固定の診断を受けた時から進むとした判例がある(最高裁平成16年12月24日判決)。等級認定や異議申立ての結果が出る時まで遅れるわけではない。
・古い事故:2020年4月1日の時点で改正前の3年の時効が完成していた場合は5年の規定は適用されず、同日の時点で改正前の20年の期間が過ぎていた場合はなお改正前の規定による(平成29年法律第44号附則35条)。
・自賠責保険への被害者請求:被害者(またはその法定代理人)が損害と保有者を知った時から3年で時効にかかる(自賠法19条)。古い事故では、改正前の、より短い期間が問題になるほか、起算点についても改正前の規定と経過措置の確認が必要になる。
・交渉しているだけでは、当然には時効は止まらない:時効を止めたり数え直したりするには、相手の債務の承認(民法152条)、協議を行う旨の書面での合意(同151条)、訴えの提起などの方法がある。保険会社の支払や内払が債務の承認に当たり、時効が更新されることもあるが、どの請求権に及ぶかは個別に確認する。催告(請求の通知)をすると、その時から6か月を経過するまで時効の完成が猶予されるが、その猶予中に再び催告しても猶予は延びない(同150条)。加害者への請求と自賠責への請求は、別々に期限を管理する。
示談は署名しなくても合意で成立することがあり、成立すると原則としてそれ以上は請求できない。治療と後遺障害の結果を待ち、損害の内訳、過失割合、既払金の差引き、示談の対象を確かめてから同意する。提示額の根拠を書面で求め、時効にも注意し、迷ったら同意の前に相談することが大切である。
出典
民法150条・151条・152条・709条・722条2項・724条・724条の2・824条の2・826条/自動車損害賠償保障法3条・16条1項・16条の3・17条・19条、同法施行令2条1項・5条/平成29年法律第44号附則35条(いずれも e-Gov 法令検索で原文確認・2026-10-18〜19)/最高裁昭和43年3月15日判決(民集22巻3号587頁)/最高裁平成16年12月24日判決(集民215号1109頁)